ピアニッシモで「とても小さく弾いて」と言われると、つい音量を落とすことに意識が向きます。
ですが、本当のピアニッシモ(pp)は、「単に“弱い音”ではなく、“静けさの中に力を秘めた音”」です。
ベートーヴェンやショパン、ドビュッシーなど多くの作曲家は、ppの中にこそ心の核心を置きました。
それは、聴き手を静寂の世界へ引き込み、言葉では届かない感情を伝えるため。
今回は、4歳からピアノを始めて音高・音大・音大の院に進み、大人子ども含め累積約50名以上にピアノを教え、現役で演奏活動を続ける筆者が、存在感のあるppを響かせるための3つの視点を、名曲の例を交えながらお伝えします。
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① 小さく弾く=弱々しく弾く、ではない
ppを弾くときに多い誤解が、「そっと弾けばいい」というもの。
しかし、力を抜きすぎると音が沈み込み、響きがなくなってしまいます。
大切なのは「打鍵スピードを落としながらも、音の芯を保つ」こと。
鍵盤を「押す」ではなく、「包み込む」ように触れると、柔らかくても芯のある音が生まれます。
たとえば、ベートーヴェン《月光ソナタ》第1楽章。

冒頭のppは、静けさの中に張りつめた緊張感と沈鬱な雰囲気が漂います。
軽い指ではなく、重みを深く伝えるように打鍵すると、「弱い音」ではなく「静かな力」を持った音になります。
② 音量ではなく“響きの密度”で聴かせる
ppを美しく聴かせるには、「どのくらい小さく弾くか」よりも、「どんな響きを空間に残すか」を意識します。
たとえば、ショパン《ノクターン第13番 ハ短調 作品48-1》の中間部の再現。

激しいクライマックスのあとに戻るppは、小さなさざ波のように和音が刻まれます。
この部分は単なる“音量の対比”ではなく、本のページをめくるように「場面の転換」を描いています。
響きを切らずに、ペダルを浅く使いながら音を漂わせる。
その余韻が、音量以上の感情や物語を伝えてくれます。
③ 静けさには“時間の流れ”がある
ppで重要なのは、音だけではなく「間(ま)」の扱いです。
静かな音楽ほど、テンポの呼吸が命になります。
たとえば、ドビュッシー《夢》の冒頭。

音と音のあいだを急がず、空気が流れるのを感じながら弾くと、静寂そのものが音楽になります。
ここでは、雰囲気づくりがとても大切です。
ベートーヴェンのppは特別(私の経験より①)
私は今まで数多くの作品を弾いてきました。(まだまだ途中ですが)
ある作曲家にとってppがとても大切な表現であることを、中・高・大学で学びました。
その作曲家とは、「ベートーヴェン」です。
ベートーヴェンは、明らかに意識して「p」と「pp」を書き分けています。
彼のピアノソナタの楽譜をどれかひとつでも見れば、すぐにわかります。
「pp」が書かれているのには、何か意味があるに違いありません。
生徒さんや音大生がよくやるppの失敗例(私の経験より②)
大学で同級生の演奏を聴いたときや、音楽教室で教えている生徒さんの演奏を聴いたとき、よくある「pp」のミスを見つけました。
(気がつくことができたのは、師匠の受け売りがあってこそですが…)
それは、「pp」だからといって指を浮かせてしまって、鍵盤の下まで押さえきれていない、ということです。
鍵盤の下まで押さえないとどうなるか。
⇒どうしても音に芯がなくなり、ふわふわした音になってしまう
⇒響きが貧相な音になってしまう
私は以前師匠にこう言われたことがあります。
「ppであっても鍵盤の下まで押さえなさい。芯のある弱音を出すのよ。」と。
それ以来「pp」だからといって指は浮かせず、必ず響きのある弱音を目指すようにしています。
まとめ
ピアニッシモは、「音を小さくする」ではなく「静けさを奏でる」こと。
- 指先の芯を残して、響きを保つ
- 音量ではなく、響きの密度で表現する
- 静けさの中に、時間の流れを感じる
ppには、作曲家の心の奥が息づいています。
小さな音こそ、聴き手の心に最も深く届く。
そんな“静けさの力”を、あなたのピアノでも見つけてみてください。




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