♯132 ピアノの「才能」とは何なのか?私が辿り着いた、上達を決める本当の正体


「自分にはピアノの才能がないから……」
「あの人は指が長いし、体格もいい。才能があっていいな」

ピアノを続けていると、一度はそんな風に誰かと比べて落ち込んでしまうことがありますよね。

でも、長年ピアノと向き合い、多くの人を見てきた中で、
私は「才能」という言葉の定義が世間一般とは少し違うのではないか
と感じるようになりました。

今日は、私なりの「ピアノにおける才能」についての見解をお話ししたいと思います。

筆者プロフィール:
4歳からピアノを始める。音高・音大・音大の院に進み、大人子ども含め累積約50名以上にピアノを教え、現役で演奏活動を続けている。

物理的な条件は「才能」ではない

よく、手が大きいこと、指が強いこと、豊かな音が出やすい体格をしていることなど、生まれ持ったものを「才能」だと人々は言います。

確かに、それは音楽を表現する上で恵まれた「道具(ギフト)」ではあります。

しかし、私はそれを「才能」とは呼びたくありません。それはあくまでスタートラインにおける特徴のひとつに過ぎないからです。

本当の才能は、もっと深い、目に見えない部分に宿っていると思うのです。

私が考える、ピアノの才能「3つの要素」

私が考える「ピアノの才能がある人」とは、以下のような資質を持っている人のことを指します。

1. 音楽を愛し、捧げる心

何よりも大切なのは、音楽を好きな気持ちです。

美しい音に心が震え、その一節をどうしても美しく弾きたいと願う。
どこまでも謙虚に音楽に向き合い、どこまで音楽に自分を捧げられるか。

その純粋な情熱こそが、すべての原動力になります。

2. 吸収できる「柔軟性」と「素直さ」

ピアノの上達を決める大きなポイントは、レッスンや学べる機会があるときに、どれだけ素直に吸収しようとするかです。

自分のやり方に固執せず、「もっとこうしてみよう」というアドバイスを真っさらな心で受け入れ、変化を楽しめる柔軟性。

この「吸収する力」こそが、上達のスピードを決定づける本当の才能です。

3. へこたれない「継続する力」

ピアノの道は平坦ではありません。何度練習しても弾けない箇所や、思うようにいかない時期が必ずあります。

そんな時でも、へこたれずに淡々と練習を続けられること。これこそが最強の才能です。

私の座右の銘は、「意志あるところに道は開ける」
続けていれば、いつか必ず見えてくる景色があります。でも、辞めてしまえばそこですべてが終わってしまうのです。

「上手い人」が残るとは限らない

かつて、ピアノ演奏研究員時代、大学の指揮の先生がこんなことをおっしゃっていました。

「自分の周りにも、自分より上手いやつなんてたくさんいたよ」

音楽の世界で活躍されている先生の言葉として、とても印象に残っています。
実際に、私よりもずっと技術的に優れていたのに、ピアノを辞めてしまった人をこれまでに何人も見てきました。

「今、どちらが上手か」は、長い目で見ればそれほど重要ではありません。
大切なのは、どんな壁にぶつかっても、音楽を嫌いにならずに歩み続けられるかどうか

先生の言葉は、まさにその「継続の価値」を物語っていると感じます。

筆者の経験談:「続けられる」という最強の才能

実は、このように書いている私自身、かつては「自分の才能のなさ」に打ちのめされていました。

コンクールを受けても、納得のいく結果は出ない。
周りを見渡せば、自分より上手な人なんて、それこそ腐るほどいる。

「才能がない私が、ピアノを弾く意味なんてあるの?」
「私が弾かなくても、もっと上手な人が他にたくさんいるじゃない」

当時は本気でそう悩み、自分を否定していました。
でもある時、周りの人にこう言われたのです。

『続けられることも、一つの才能なんじゃないの?』

その言葉に、私はハッとしました。

たしかに、私よりピアノが上手な人は大勢いたけれど、気づけばピアノから離れてしまった人も同じくらい大勢います。その中で、今でも「もっと上手になりたい」と本気で思い続け、鍵盤に向かっている人がどれほどいるでしょうか。

「続けられること」と「情熱を持ち続けられること」。
これこそが私の強みであり、私だけの「才能」なのだと気づいたのです。

「才能」のあるなしで悩むのをやめた

それ以来、才能のあるなしで悩むことはなくなりました。
自分より上手な人がいたら、落ち込むのではなくその技を盗んで自分のものにしてやろうと、むしろワクワクするようになったのです。

何事も、すべては「その人の考え方次第」です。
「才能」なんていう曖昧な言葉に振り回されずに、自分の「好き」という気持ちを一番に大切にしていきたい。今は、そう強く思っています。

「才能」は、これから作っていけばいい

「自分には才能がない」なんて思う必要は、全くありません。
そもそも「才能」という完成された何かが、最初から体の中に埋まっているわけではないからです。

音楽を愛し、素直な心で学び、一歩ずつ歩みを進め、積み重ねていくこと。そのプロセスを重ねた結果、後から「才能」と呼ばれる形になっていくだけなのです。

才能とは、持っているものではなく、これからどう作っていくか

もし、あなたが今「もっと上手くなりたい」「この曲を素敵に弾きたい」と願っているなら、その意志こそが、道を開く鍵になります

一緒に、自分だけの才能を育てていきましょう。

筆者プロフィール:

4歳からピアノを始める。音高・音大・音大の院に進み、大人子ども含め累積約50名以上にピアノを教え、現役で演奏活動を続けている。


“♯132 ピアノの「才能」とは何なのか?私が辿り着いた、上達を決める本当の正体” への3件のフィードバック

  1. コメントさせていただくには、おこがましいレベルの者ですが、音楽を愛する、柔軟性と素直さ、継続する力、どれも大切ですね。
    私は小、中学生でピアノを母から習いましたが、当時は音楽の素晴らしさに気づかないまま辞めてしまいました。中学校では3回伴奏をさせてもらい、うち1回は合唱コンクール自由曲で弾かせていただきました。
    その後、12年後に会社員でピアノを再開、楽器を持てないまま、楽器店や公共施設、貸しスタジオでピアノを借りて休みの日に練習をして苦労しながらピアノを続けています。
    教育大学の大学院音楽コースを修了したり、ノーヴィーヴェーチェル国際音楽コンクール(録音審査で数回だけ実施された)で奨励賞(数名の方がとり、いずれの方も指導や演奏でピアノ現役活動されています)をいただいたり、高齢施設や福祉施設等でピアノボランティアをさせていただいたりしました。
    ピアノは専門外ではありますが、ポリーニのショパンエチュードOp25-1に感銘を受け、この曲だけは絶やさず20年近く向き合っています。
    阪神淡路大震災の復興支援コンサートで遠藤郁子さんの演奏で意識のない被災者が反応して、ドキュメンタリー番組で(音楽で)「奇跡が起こった」と紹介されたことが忘れられません。いつか自分の演奏で障害をもった方や高齢者の方に同じようなことができれば、と夢を抱きながら、ショパンエチュードOp25-1と向き合っています。素晴らしい音楽を聴くと、音楽の美しさ、力強さなどで心も体も勇気づけられます。こんな思い、感動を聴いて感じるだけでなく、自分の演奏で実現できればどんなに素晴らしいだろう、この思いを20年以上抱き続け、普段練習できない厳しい環境ながら何とか続けています。
    才能というにはおこがましいレベルですが、音楽を愛し向き合ううえで、先生の記事で励まされました。ありがとうございます。
    先生のご活躍を祈念しつつ、また先生のブログで教えていただこうと思います。

    • はじめまして。コメントありがとうございます。
      素晴らしい経歴をお持ちですね。音楽を愛されている気持ちが文章から伝わってきます。
      思うように練習できないのは、心苦しいですね…。それでも努力をし続けるというのは、なかなか誰にでもできることではないと思います。
      私も常々、誰かの心に残る演奏がしたいと思っています。一緒に頑張りましょう。あらためて、温かいコメントありがとうございました。

  2. 橋本先生、返信いただきありがとうございます。励みになります。
    続けられているのは、音楽への思いだけでなく、お世話になった先生への思い(母に連れられてお世話になった先生、社会人でお世話になった先生へのやり残しの思いや恩返しの気持ち)、ボランティアで聴いていただいた方からのお礼の言葉や手紙(車椅子でお礼を言いに来てくださった方、「私もあなたのように頑張るわ」と言ってくださった方の声)も大きいです。
    音楽でのご縁が、一人ではない、と背中を押してくれているようです。
    恥ずかしくないよう、しっかり向き合いたいと思います。

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