人の演奏のまねをするのは悪?
皆さんは、新しく作品に取り組むとき他の誰かの演奏音源を聴いたりしていますか?
おそらくだいたいの方は、YouTubeなどの音源を聴いて参考にしていると思います。
しかし、どこまで人の演奏をまねていいのか悩んだりしませんか?
「自分の個性を出したい・・・」
「人の演奏をまねるだけでは、私が演奏する意味はない・・・?」
人の演奏のまねをすることは悪ではありません!自分の演奏の幅を広げるためにどんどんまねをしましょう!
では、まねをすることの大切さを詳しく解説していきます。
まねをすることの大切さ
先ほどの「自分の個性を出したい・・・」「人の演奏をまねるだけでは、私が演奏する意味はない・・・?」という気持ちは痛いほど分かります。
私の持論ですが、一握りの天才をのぞいてほとんどのピアニストたちが先人の演奏のまねをしてきたのではないかと思っています。
私が思う、素晴らしい演奏者が生まれる経緯
一人の天才ピアニストが現れる
→次に出てきたピアニストがそのピアニストのまねをして成功する。そこから個性があらわれてくる
→さらにあとに出てきたピアニストが先人ピアニストのまねをして成功する。そこから個性があらわれてくる
この繰り返しで音楽界は発展してきたのではないかと思っています。
すでにある先人たちの素晴らしい知恵を学ばないで、
「自分の個性がどう」とか言っている人は、まだまだ二流三流ではないでしょうか。
皆、だれかの演奏に感動して自分もその音を出したいと思う
私含め音楽を志している人は、だれかの演奏に感動して「自分もこんな音が出したい」と思って多かれ少なかれまねをしています。
意図せず自然にまねをしているのです。
ですが、学びを続けていると、言われたまま人のまねをするだけでいいのだろうか、と葛藤することもあります。
自分で生み出すことにやっきになっていた私
私自身が自分で何かを生み出すことにやっきになっていた人でした。
なぜそこにとらわれていたのか、今となっては不思議ですが、少し前の私は「誰かに頼らないで自分で音楽を作れるようにならなきゃ」と変な自立心にとらわれていました。
自分だけの力で生み出せるものはたかがしれていて、すでにあるものを活用せず、一人で苦しんでいた私は愚かだったと今では思います。
まねをするだけでは、一流になれないのも事実です。
ですが、人のまねをしたことない人が一流になれないのも事実です。
「自分らしさ」というのは苦労して出そうとするものではなく、まねをするという行為を経て、自然に出てくるものだと私は思います。
本当の意味でまねをするのは実はとても難しい!?
人の演奏をまねをするのは、実はとても難しいのです。
その人の演奏の特徴をとらえて、実際にその音を出すというのはなかなかできることではありません。
人の演奏のまねをすることの大切さはここにあります。
その人の演奏を観察し、その人が出す音をまねることで自分のなかに新しい技術、新しい表現方法を身につけることにつながります。
すでにあるものをまねをすることでさえ大変なのに、天才でもなんでもない私が一から生み出そうとしていたなんて、あらためて愚かの極みだったと感じています。
「ホロヴィッツ風」「グールド風」なんて弾き分けができるようになったら、偉大なピアニストたちと同等くらいの表現技術を身につけられたことになります。
そこまでこられたら、一流ピアニストと呼ばざるをえないでしょう。
(こんな芸当ができる人がいるのでしょうか・・いたらお会いしたいです。)
まとめ
人の演奏のまねをすることの大切さをお伝えしてきました。
・誰もが人の演奏に感動して自分もその音を出したいと思う
・一流ピアニストたちもまねをするという経験を積んでいる
・自分だけで素晴らしい音楽を生み出すのには限界がある
・人の演奏のまねをすることは、実はとても難しい
・まねをすることで自分の中に新しい技術、新しい表現方法が身につく
人の演奏から良いものをどんどん盗んで、自分の演奏をさらなる高みにもっていきましょう!
そして、その先に自分らしい演奏ができる未来がくるはずです。
共に頑張りましょう。
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