
「早くあのテンポで弾けるようになりたい!」
ピアノを練習していると、どうしてもそんな焦りに駆られてしまうものです。
私自身、昔からついつい速く弾いてしまうタイプでした。
指が動くようになると楽しくなり、ついついインテンポ(指定の速さ)や、それ以上のスピードで爽快に弾き飛ばしてしまう。
しかし、ある時先生から言われた一言が、私のピアノ人生の大きな転換点となりました。
「いつも弾き飛ばす練習しかしていないんじゃない? もっとゆっくり部分を取り出して、音を聴いたり、体の使い方を考えないと」
今回は、一見遠回りに見えて実は最短ルートである「スロー練習」の真の効能と、私が身をもって知った「音との向き合い方」についてお話しします。
筆者プロフィール:
4歳よりピアノを始め、埼玉県立大宮光陵高校音楽科、東京音大ピアノ演奏家コース、同大学院修士課程を修了。コンクール受賞歴多数。奨学金授与、短期留学を経験し、現在は演奏活動と並行し累積50名以上の指導に携わる。現役奏者の視点から、ピアノ上達のヒントや本番に強いメンタル術を発信中。
「ゆっくり弾く」ことが、なぜあんなに苦痛なのか

「ゆっくり弾くなんて簡単だ」と思うかもしれません。しかし、実際にやってみると、これが驚くほど難しいのです。
速いテンポで弾いている時は、勢いや指の慣れ(筋肉の記憶)で誤魔化せていた部分が、スピードを落とした瞬間にすべて露呈します。
- 「ここの指の返し、実は無理な力が入っていた」
- 「この和音のバランス、実は綺麗ではなかった」
- 「実は音を覚えらえていなかった」
ゆっくり弾くということは、自分の欠点と正面から向き合う作業です。
脳に「考える時間」を与えてしまうため、なんとなく弾いていた部分が「あれ、次は何だっけ?」と止まってしまう。
スロー練習が難しいのは、「自分の理解不足が可視化されるから」に他なりません。
先生の指摘で気づいた「弾き飛ばす練習」の罠

先生に指摘された当時の私は、正直なところ「ゆっくり練習のやり方が本当に合っているのか」と半信半疑でした。
ゆっくり弾きはするけれど、何が変えられているのかいまいちつかめなかったからです。
しかし、過去にうまく弾けた時のことを思い返してみると、共通点がありました。
それは、「自分の理想の音を頭に思い浮かべながら、一つひとつの体の動きと合わせて模索して練習していた」時です。
それまでの私は、「どういう音を出したいか」ではなく、単に「いかに速く音を並べるか」ということにしか意識がいっていませんでした。
音を並べるだけの作業は「音楽」ではなく「作業」です。
先生は、私が自分の音を全く聴いていないことを見抜いていたのです。
日本のピアノ教育と「速く弾くこと」への強迫観念

少し大きな話になりますが、日本のピアノ教育現場では、しばしば「正確に、速く音を並べること」に重きが置かれがちな傾向があります。
コンクールなど、客観的な指標で評価されやすいのが「ミスのなさ」や「テクニックの鮮やかさ」だからかもしれません。
私自身、典型的なその教育の成果物でした。環境のせいにするつもりはありませんが、「速く弾ける=上手い」という価値観が根深く刷り込まれていたのです。
しかし、本当に大切なことは「どんな音を紡ぎ出したいか」。
スロー練習は、その「表現の種」を見つけるための大切な時間なのです。
私が実践している「脳内と体のシンクロ」練習法

今、私が練習で最も大切にしているのは、「体の動き」と「今出している音(出したい音)」を極限まで一致させることです。
具体的な手順は以下の通りです。
- 理想の音をイメージする:
鍵盤を叩く前に、脳内で「こんなに柔らかく、深い音」という理想を鳴らします。 - スローモーションで動く:
その音を出すために、手首の角度、指の支え、体重の乗せ方がどうあるべきか、スローモーションで確認しながら打鍵します。 - 音を最後まで聴く:
打鍵した後、音が消えていく瞬間まで耳を澄ませます。
この練習手順を踏むと、ただ漫然と1時間通し練習をするよりも、遥かに音に輝きと説得力が生まれます。
「通し練習」と「スロー練習」を明確に分ける

とはいえ、ずっとゆっくり弾いているだけでは、曲全体の構成感やスピード感は養えません。
そこで私は、「通し練習」と「部分的なスロー練習」を完全に切り離してメニュー化しています。
- スロー練習の日: 1ページだけ、あるいは苦手な4小節だけを徹底的に解剖する。体の使い方を研究し、理想の音を探求する。
- 通し練習の日: 多少のミスは気にせず、音楽の流れやスタミナを確認する。
一番良くないのは、通し練習のつもりで弾き始め、間違えたところだけを「なんとなくその場のテンポで」弾き直して満足することです。
これでは「弾き飛ばし癖」が強化されるだけです。
暗譜の不安も、スロー練習が解決してくれる

前回の記事で「脳内鍵盤シミュレーション」について書きましたが、スロー練習はこの脳内練習とも密接に関わっています。
ゆっくり弾いていて「次、何だっけ?」となる場所は、暗譜が不安定な場所です。
逆に、どんなにゆっくり弾いても(あるいは指を動かさなくても)次の音が明確に見えている状態になれば、本番で暗譜が飛ぶ恐怖は激減します。
スロー練習は、技術的な安定だけでなく、精神的な安定ももたらしてくれる「最強の守備固め」なのです。
まとめ:急がば回れ、音を愛でる時間を

多忙な大人にとって、練習時間は貴重です。
つい「早く仕上げたい」と焦ってしまいますが、そんな時こそ、テンポを落として音をよく聴いてみてください。
「いかに速く並べるか」という呪縛から解き放たれた時、
あなたのピアノからは、今まで気づかなかった豊かな倍音や、繊細なニュアンスが響き始めるはずです。
ゆっくり弾くことは、自分の音を愛でる時間。
その贅沢な時間を積み重ねた先に、「本当に人を感動させる演奏」が待っているのだと、今の私は確信しています。
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筆者プロフィール:
4歳よりピアノを始め、埼玉県立大宮光陵高校音楽科、東京音大ピアノ演奏家コース、同大学院修士課程を修了。コンクール受賞歴多数。奨学金授与、短期留学を経験し、現在は演奏活動と並行し累積50名以上の指導に携わる。現役奏者の視点から、ピアノ上達のヒントや本番に強いメンタル術を発信中。

