ピアノコンクールの結果が出るたびに、喜んだり落ち込んだり…。
そんな経験を繰り返している人は少なくありません。
でも実は、結果に一喜一憂する必要はまったくありません。
なぜなら、コンクールの評価は「正しさ」ではなく、あくまでその場にいる審査員たちの価値観によって決まるからです。
本番で良い演奏をすることは大切ですが、“評価そのもの”を背負い込みすぎる必要はありません。
4歳からピアノを始めて音高・音大・音大の院に進み、大人子ども含め累積約50名以上にピアノを教え、現役で演奏活動を続ける筆者が、
コンクールの結果に振り回されなくていい理由を、実体験も交えながらお伝えします。
コンクールの結果は、審査員の価値観で大きく変わる
ピアノコンクールは公平に見える一方で、実際には
「審査員の好み」「価値観」「基準」 に大きく左右されます。
コンクールによって審査基準は全く違い、
審査員が3人しかいない大会で“平均点”で決まる場合、
実質 1人の好みで結果が左右される こともあります。
上下カットがあればなおさら、
「この審査員は高いけど、この審査員は低い」
という極端な評価が消えてしまい、
残った1人の評価がそのまま順位になることすらあります。
つまり、
結果=上手い・下手の絶対的な指標ではない
ということです。
順番・性別・人間関係…“人間の要素”は完全に排除できない
もちろん全員がそうとは言えませんが、現実的には次のようなケースも存在します。
- 審査順が早いと評価が辛くなる
- 終盤だと比較されやすい
- 異性の参加者に少し甘くなる審査員がいる
- 自分の生徒が出ていると点数が甘くなる
私自身、これらを何度も見てきました。
審査員も人間です。
完全にフラットでいようとしても、無意識の偏りは出てしまいます。
だからこそ、結果を「絶対的な評価」だと思い込むことは危険です。
筆者経験談:私が実感した“コンクールは宝くじ”という真実
● 人によって評価が大きく分かれることがある
とあるコンクールでバッハを演奏した時のこと。
ある先生は私の演奏を「素晴らしい」と評価し、
一方で別の先生は「ありえない」とまで評しました。
同じ演奏を聴いているはずなのに、
こんなにも評価が分かれるものなのかと驚いたことを、今でも覚えています。
このようにピアノの世界では評価が分かれるなんて当たり前のこと。
いかに好みや価値観による影響が大きいかということを感じさせられます。
誰に評価されるかで結果は全く変わる ―ーその現実を強く感じた出来事でした。
● コンクールは宝くじみたいなもの
コンクールでとても良い演奏をしたと思ったのに、結果はまさかの賞なし。
私の先生も審査員にいましたが、先生からは
「あなたが弾いた曲のことを他の先生たちがよくわかっていなかったんだと思う」
と言われました。
そして先生からのお言葉でもうひとつ印象に残っているのが、
「コンクールなんて宝くじみたいなものなんだから、
そんなので一喜一憂するようならコンクールなんて受けない方がいいよ」という一言。
それからは、コンクールに対して過度な期待を抱かないようになりました。
もちろん出場するからには結果を目指しますが、
コンクールには「運の要素がある」ことを理解しています。
「コンクールの結果は宝くじみたいなもの」
一喜一憂して疲れるくらいなら、コンクールは受けない方がいい
あなたがもし、
結果を見るたび落ち込んでしまうタイプなら、コンクールは精神的な負担が大きい場です。
結果を気にしすぎるあまり音楽が楽しめなくなるなら、本末転倒です。
コンクールはあくまで
“今の自分を知るひとつの機会”
“成長のための踏み台”
それ以上でも、それ以下でもありません。
本当に大切なのは「他人の評価」ではなく「自分の成長」
何より忘れてはいけないのは、
コンクールの結果は、あなたの実力のすべてを決めないということ。
本当に上手い人は、どの審査員に当たっても結果を出し続ける傾向があります。
それは事実です。
でもそれ以上に大切なのは、
昨日の自分より、今日の自分がどう成長したか。
・舞台で集中できた
・暗譜が安定した
・音が前より美しくなった
・練習の質が上がった
・表現にこだわりを持てた
こうした「積み重ね」にこそ価値があります。
コンクールはそのための通過点にすぎません。
まとめ:結果は気にしすぎない。必要なのは“成長の視点”だけ
ピアノコンクールは、
審査員の価値観・順番・人間の要素など、
客観的な評価とは言い切れない部分がどうしてもあります。
だからこそ、
結果に振り回される必要はありません。
本番の経験、練習の質、成長の記録…。
あなたが音楽と真剣に向き合った時間こそが、何よりの財産です。
コンクールはただの踏み台。
あなたの音楽人生は、その先にあることを忘れないでください。



コメント