♯143 ピアノ歴二十数年の壁。感情がないと言われた私が、今『熱すぎる演奏』を捨てる理由


「ピアノを二十数年も続けているのなら、なんでも弾けて楽しいよね。」

ピアノを弾かない友人から、よくそんな風に言われます。しかし、現実は少し違います。鍵盤と向き合い、音の世界に身を投じて二十数年。それだけの月日を重ねてもなお、未だに超えられない壁があり、自分の未熟さに唇を噛む夜があります。

むしろ、長く続けてきたからこそ見えてしまった「自分の弱さ」があります。
かつては「作品の良さを感じ取れない」と言われ、今は「熱くなりすぎて本質を埋もれさせてしまう」自分と戦っている。

今日は、そんな私の格闘の記録と、今取り組んでいる「自己対話」についてお話しします。

筆者プロフィール:
4歳からピアノを始める。音高・音大・音大の院に進み、大人子ども含め累積約50名以上にピアノを教え、現役で演奏活動を続けている。

「作品の細やかさ」が分からなかった過去

十数年前の私の演奏は、どこか機械的で、良くも悪くも「優等生の演奏」でした。指はよく回り、楽譜通りに正確に弾くことはできる。けれど、そこに奏者としての血が通っていなかったのです。

作曲家が楽譜に残したはずの「細やかな良さ」や「繊細な美しさ」を、私自身の感性がうまくキャッチできず、そんな自分に歯がゆさを感じていました。

それは長く、私の深いコンプレックスでした。

 周囲の人から
 「感じられない人は、これから先も感じられるようにはならないよ」
 という言葉を投げかけられたことが、何より苦しかった。

「どうすれば、作品の良さや色の移り変わりを感じ取れるのだろう?」

私は必死でした。自分の内面を見つめ直し、休日は美術館に足を運んで絵画に触れ、美しい景色を眺め、本を読み……あらゆる手段で感性を磨こうとあがき続けました。音以外の場所から何かを吸収し、それを指先に伝えようと努力を重ねてきたのです。

その甲斐あって、いつしか私の音には色がつき、楽譜の行間に潜む感情を少しずつ読み取れるようになりました。

しかし、気がついたときには、今度は別の「極端な場所」へと辿り着いてしまっていたのです。

「熱さ」で埋もれさせてしまった、音の緻密さ

感性を磨こうと必死になった結果、今の私は「つい感情的になりすぎて、演奏が熱くなりすぎてしまう」という新しい壁にぶつかりました。

かつて「感じ取れなかった」作品の美しさを、今度は自分の過剰な熱量で
塗りつぶしてしまっている。そんな皮肉な状況です。

・感情が高ぶるあまり、演奏における「引き算」ができない
・音質そのものを磨くのではなく、単なる「音量」の大きさで表現しようとしてしまう
・一つひとつの音を細かくイメージできていないまま、勢いと「なんとなく」のニュアンスで弾き進めてしまう・・・・

だいたいの流れは良く、それなりに「弾けている」ように聞こえるかもしれません。でも、そこには「詰め」の甘さがあるとレッスンを受ける中で自覚しています。

目指す理想の音のレベルが低く、無駄に手首を動かしてしまったり、磨き切れていない雑な部分が残っていたりするのです。

理想とする音のレベルをもう一段階上げ、無駄な動きを削ぎ落とし、音の一粒一粒を緻密に設計し直す。二十数年の経験が、時に「慣れ」という名のノイズとなって、今の私の進化を阻む壁となっています。

先生の言葉に突きつけられた「変える力」

ここ数年、ピアノのレッスンで先生から指摘されることは、驚くほどいつも同じ内容でした。

   「もっと冷静に音を聴いて」「体の使い方を整理して」

何度言われても、長年の癖が染み付いた体は簡単には変わりません。分かっているのに、曲が盛り上がるとつい熱くなって、昔からの習慣が顔を出す。

そんな自分に対して、腹立たしさや情けない思いを募らせていたある日、さらに先生からこんな言葉を投げかけられました。

「本当に優秀な人は、自分を変えることのできる人ですよ」

その言葉は、私の胸に深く突き刺さりました。「いつまでも変えられない自分は本当にどうしようもない人間だ」と。自分にとんでもなく嫌気がさしました。

孤独な練習を変えた「自己対話」という魔法

そうして模索している中で出会ったのが、一冊の本でした。

『世界一やさしい自分を変える方法』西剛志著
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この本を読み、私は大きなヒントを得ました。練習する際に、まるで先生がいるようにもう一人の自分を用意して、自分自身に問いかけるのは効果があるのではないかと。

以来、私は一人で練習しながら、よく独り言を言うようになりました
「今の音、ちょっと固かったよね?」「ここはもっと深く、でも重すぎない音で……」「今、また手首が逃げたよ」と、自分の演奏に対して客観的なツッコミを入れ続けています。

端から見れば、ぶつぶつと独り言を言いながらピアノに向かう姿は、少し奇妙かもしれません。けれど、この「自己対話」こそが、熱くなりがちな私の脳を冷静に保ち、緻密な音作りをサポートしてくれる最高の方法になっています。

「常に疑うこと」で見えてきた新しい景色

自分を変えるために、私が最近の練習で最も大切にしているのは「常に疑うこと」です。

  • 「本当に、この弾き方でいいのか?」
  • 「今、心から納得できる最高の音が出せているか?」
  • 「作曲家はここに何を思って書いたのか。なぜこの音を選んだのか?」
  • 「体の使い方は、本当にこれが最適なのか?」

あつくなりすぎる自分をグッと抑え、一音ごとに立ち止まって考える。

感情で突っ走りそうになる自分に「待った」をかける作業は、正直に言って、爽快感のある練習ではありません。地道で、神経をすり減らす、非常に孤独な対話です。

しかし、そうやって自分を徹底的に疑い、問い直すことでしか、二十数年かけて築いてしまった「癖」という壁を壊すことはできないのだと痛感しています。

できない自分を、面白がる

「作曲家の意図を感じ取れない」と言われた過去から、「熱すぎる」現在へ。
私の二十数年は、常に自分自身の課題との戦いでした。でも、もし二十数年前にすべてをマスターしてしまっていたら、私は今日、こんなに必死にピアノに向かっていなかったでしょう。

自分の至らなさに腹を立て、新しい弾き方に悩み、本を読み、独り言を言いながら試行錯誤する。この「もがき」の時間こそが、私にとって必要な時間だと感じます。

私のこの葛藤が、同じように「変わりたい」と願う誰かの背中を、ほんの少しでも押すことができれば幸いです。

完璧ではないからこそ、面白い。
できないことがあるからこそ、未来がある。

私はこれからも、あつすぎる情熱を少しだけ冷静な頭に切り替えて、私にしか出せない「緻密で、体温のある響き」を探し続けていきます。

いつか私の音と言葉が、誰かの心に深く届くその日まで。

筆者プロフィール:

4歳からピアノを始める。音高・音大・音大の院に進み、大人子ども含め累積約50名以上にピアノを教え、現役で演奏活動を続けている。


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