♯118 【ピアノのエッセイ】時が止まった魔法の曲。コンクールの悔しさを救ってくれた「スペイン風のワルツ」の記憶

ピアノとわたし

ピアノを長く続けていると、ふとした瞬間に蘇る「音の記憶」というものがあります。

自分が苦労して弾ききった大曲の達成感や、先生に褒められた嬉しい記憶。
あるいは、本番で失敗してしまった苦い味のする記憶。

私にとって、人生で一番鮮烈に残っているピアノの記憶は、そのどちらでもありません。
それは、「他人が弾くピアノ」に、どうしようもなく心を奪われた瞬間の記憶です。

今回は、私がまだ小学生だった頃に出会った、ある一曲とそれにまつわるエピソードについて書いてみたいと思います。

楽曲は、香月修(かつき おさむ)作曲の「スペイン風のワルツ」。
もし今、ピアノの演奏において「目指す場所」を問われたら、私は迷わずこの時の光景を思い浮かべます。

響きの殿堂「エローラ」でのコンクール

時計の針を、私が小学校の中学年だった頃まで戻しましょう。

当時、私はあるピアノコンクールの予選に出場していました。
会場は、埼玉県にある松伏町中央公民館、通称「エローラ」です。

実はこのホール、あの芥川也寸志氏がプロデュースし、
日本初のデジタル音響設計によって「室内楽に最も適した残響(1.9秒)」になるよう作られた名ホールなのです。

専門家からも高く評価されるその緻密な音響設計のおかげで、
ここで弾くピアノの音は、普段の何倍にも美しく増幅されて降り注ぎます

そんな素晴らしい環境で行われたコンクールでしたが、
当時の私にとって、その日は「最悪の一日」になりかけていました。

自分の演奏への失望と、孤独な客席

出番を終えた私は、どん底の気分で客席に戻りました。

演奏の出来は、決して満足のいくものではありませんでした
練習では弾けていたパッセージで指がもつれ、表現したかった強弱もホールの響きに飲まれてしまったような感覚。
「やってしまった」という後悔と、周りの出場者たちがみんな自分より上手に見える劣等感。

「もう帰りたい」

そんな思いで小さくなりながら、逃げるように自分の席に座り、うつむいていました。
ステージ上の誰かの演奏を聴く余裕なんてありません。
ただただ、自分の不甲斐なさを反芻し、重たい空気が胸のあたりに溜まっていくのを感じていました。

そんな時でした。
ある一人の出場者がステージに上がり、ピアノに向かいました。

空気を一変させた「スペイン風のワルツ」

最初の一音が鳴った瞬間、会場の空気が色を変えたのを今でも覚えています。

香月修 作曲「スペイン風のワルツ」

その子が弾き始めたのは、哀愁を帯びた、それでいて情熱的な短調のワルツでした。

私が抱えていた「落ち込んだ気分」など、まるで最初から存在しなかったかのように、
その音楽は私の耳へ、そして心へと真っ直ぐに入り込んできました

決して派手な難曲ではありません。超絶技巧で圧倒するような曲でもありません。
ですが、そこには確かな「魔法」がありました。

エローラの高い天井に、ピアノの音が黄金の粉のように舞い上がり、それがゆっくりと客席の私たちに降り注いでくる。
ワルツのリズムは心地よく揺れているのに、その旋律は切なく、聴く人の胸をギュッと掴んで離さない引力を持っていました。

私は顔を上げ、ステージ上のその子を見つめました。
同世代の子が弾いているはずなのに、そこには「子供の演奏」という枠を超えた、
一つの完成された芸術がありました。

「時が止まる」という体験

音楽を聴いて「時が止まったように感じる」という表現がありますが、あれは比喩ではなく、本当に起こる現象なのだと知ったのはこの時です。

直前まで支配されていた、失敗への悔しさや自己嫌悪。
そういったドロドロとした感情が、美しい旋律に洗い流されていくようでした
「上手い」とか「間違えていない」とか、そんな次元の話ではありません。ただただ、美しい

「この曲、なんていう曲なんだろう」
「もっと聴いていたい。終わらないでほしい」

自分のコンクールの結果なんてどうでもよくなってしまうほど、私はその演奏に聴き入っていました。心が震えるというのは、こういうことを言うのでしょう。

演奏が終わった瞬間、私は大きな拍手を送っていました。

数分前まであんなに落ち込んでいた自分が、満ち足りた気持ちでステージを見つめている。
音楽には、人の心を一瞬で救う力があるのだと、子供ながらに肌で感じた瞬間でした。

誰かの心に残る演奏を目指して

後日談になりますが、その演奏をした子は、当然のように全国大会へと駒を進めていきました。

当時の最終結果までは覚えていませんが、あの日、あの会場にいた多くの人の心に、
その「スペイン風のワルツ」が刻まれたことは間違いありません。

あれから長い年月が経ちました。
私も大人になり、ピアノとの向き合い方も変わってきました。

技術的な向上を目指して練習することは、もちろん大切です。
指が回るようになりたい、難しい曲を弾けるようになりたい。
それはピアノを続ける大きなモチベーションです。

でも、私がピアノを弾く上で一番大切にしたい「根っこ」の部分は、あの日エローラで感じた体験にあります。

「聴いている誰かの時を止め、心を洗うような演奏がしたい」

上手く弾けなくて落ち込んでいる誰かや、日々の生活に疲れている誰か。
そんな人の耳に届いたとき、ふっと肩の力が抜けたり、景色が少し美しく見えたりするような、そんな音を奏でたい。

私があの日救われたように、私のピアノもいつか、誰かにとっての「スペイン風のワルツ」になれたら。

そんな途方もない、けれど尊い目標を胸に、今日も私はピアノに向かっています。
香月修さんのあの名曲と、名前も知らないあの子の演奏は、今でも私のピアノ人生における一番の道しるべです。

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